静かな奇跡が起こる超意識♪

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ベビーインキュベーター2 歴史の謎

 

先日書いた「ベビーインキュベーター

昔、孤児が多かったのは人工的に子どもが作られていたからなんじゃないか?ということを書いたんだけど、日本でもとても孤児が多かったんですよね。

日本で初めて孤児院ができたのは1887年(明治20年)9月22日に石井十次という人が国内初の個人経営孤児院「孤児教育会」を岡山に作ったそうです。

1906年(明治39年)の最盛期には1200名の孤児を養育していたそうです。

すごい数ですね!
ていうか、どこからこの写真撮ったんでしょうね?

もともと石井十次は宮崎県の人だけど医者になりたくて岡山県の岡山医学校(現在の岡山大学医学部)に入学したそうです。

孤児院のきっかけは石井十次が22歳の時、岡山医学校で学んでいたときに偶然とある女性から男の子を預かり育てることになったのがきっかけ。

大学に通ってる若い男性に子どもを預けるってちょっと変だと思うんだけど。。学校に行ってる間はその男の子はどうしていたんでしょうね。


孤児院て子どもたちを集めるだけではなく、食べさせないといけないしお風呂にも入れないといけないし着る服もいります。

その子どもたちのお世話をする人も必要。子どもの人数が多ければ多いほど、お世話をする人も必要。

石井十次はクリスチャンでどうやらそこからの支援と同じくクリスチャンの大原美術館の大原孫三郎やアメリカからも支援を受けていたようです。アメリカ...?

 

そして遡るは奈良時代和気広虫という和気清麻呂の姉が孤児を83人養子とし引き取って養っていたそうです。この方も岡山県の現在和気郡の人です。

そういえば、岡山県には閑谷学校がありますね。(備前市)日本最古の庶民学校。

1673年(江戸時代)に開校。

この閑谷学校はとても山深い所にあり(山の中)こんなところに子どもたちが勉学のためにやって来てたのもなんだか不思議です。


調べていくと新札になる渋沢栄一も孤児救済事業をしていたようですね。
それにしても明治時代はとてもたくさんの孤児がいたんですね。

マッドフラッド的には、江戸時代に泥の洪水が世界的に起こり、日本でも建物が埋まってしまい人もほとんどいなくなりました。
その埋まった建物の名残がタルタリア様式の煉瓦の建物。現在の東京駅や大阪の中之島公会堂などが有名だけどあのような建物です。
実際、東京駅も埋まっているようですし、中之島公会堂も地下があってかつては埋まっていたんじゃないかという造りです。

人がいなくなってしまい新たな文明(現在)に人を増やすために前文明の生き残った人の遺伝子を使い人工的に子どもを作っていたんじゃないか?という考察です。

しかしどうしてそんなに子どもたちが必要なのか?

人口を増やすためだけではなく何か別の目的もあって造られていたのかも?

 

それにしても外国ではたくさんのベビーインキュベーターの写真があるようだけど、日本はいくら探しても出てきません。孤児の写真やお話は色々あるけど。

戦後アメリカの支配下になった日本はGHQによって彼らの不都合な情報など全部持って行かれたようなので残っていないのかな?

 

子どもに関してはとても不思議なことがあります。日本では昔話にもあるように災害などあると神様が怒っているから怒りを鎮めるために子どもを生きたまま人柱などにして捧げる。子どもを生贄にしてますよね。

そして、貧しい家は子どもを売ったり。多くの子どもたちが外国へ人身売買されていたようです。

 

童謡に"赤い靴"がありますよね。あの赤い靴のきみちゃんは実在していたようです。どうしてきみちゃんは異人さんに連れられて行っちゃったんでしょうね。歌詞を見るととても悲しくて切ない歌です。

2021年に亡くなられた"精神世界の鉄人"のトーマさんがこの赤い靴のきみちゃんのことをブログに書かれています。

ちょっとショッキングな内容とだけお伝えしておきます。

https://tomaatlas.hateblo.jp/entry/2020/04/02/231637

今でもニュースになっていないだけでたくさんの子どもたちが行方不明になっているようです。子どもへの性犯罪もとても多いです。

 

果たして本当に子どもが人工的に造られていたのかどうか?それはわからないけど、戦争があったにしても孤児がとても多く孤児院を設立した人がアメリカと関わりがあるというのも疑問が湧いてきます。

 

外国の奇妙な写真。謎は深まるばかりです。