私は消し去りたい過去というのがあったのだけど、そのおかげで自分の人生は自分で変えて行けるということを体験することができました。
そうは言っても一人では生きていけないので色んな人の助けもありそのようになっていったのだけど、
ネガティブな思考でいるとずっとネガティブな思考のとおりのことが続き、そのループをぐるぐる回っているだけになります。
逆にポジティブで前向きな思考でいるとその通りのことがどんどん起きて予想もしていない展開になっていきます。
「思ったことが現実化する」
当時はこのことに氣づいていなかったので実感はなかったと思います。
とにかく解決することだけを日々思っていたから。
元々楽天的な性格ということも良かったのかもしれません。
困ったことが起きてもどんな時も「なんとかなる!」と無意識に思っていたと思うので。
人は過去のトラウマを無意識に引きずって来てると思います。
特にイヤな出来事は心の奥に残っている。
なので同じような出来事が起きたとき、過去のイヤな思いが湧き上がってネガティブな思考になってしまう。
それは仕方ないと思うのだけど、
しかしそれを繰り返しているとずっと同じことの繰り返しの人生になってしまいます。
どこかでピリオードを打たなければ・・
お金の問題もそうだと思います。
本当はお金はあるのになぜか使うたびに不足感を感じ不安になってくるなど。
だから使うたびに不安になりその不安通りの出費が起きたり出来事が起きます。
「無くなる!」という不安がいつもあると「無くなる」出来事が次から次へとやって来る。
なのでどこかでそのループから抜け出さないといけないです。
イヤなことがずっと起きているのは〇〇のせい!誰々が悪い!なんてことばかり思っていてもネガティブなループから抜け出せない。
なので少し思考を変えてみるといいですね。
最近思うのだけど、今の世の中自分で考えて判断して生きている人、どのぐらいいるんだろう?
疑問に思うことやおかしいと思うことなど自分で調べたり自分で検証したりするのかな?
人の言うままその通りに生きているんじゃないだろうか?
私は人の言いなりになるのがイヤなので、とにかく自分で調べまくり自分で検証しないと氣がすまないたちなのでそういう生き方をしているのだけど。
なので私が知りたいことをSNSで発信している人のところへ直接会いに行ったりしているのだけど、
直接その人に会うとその人のエネルギーが感じ取れるし言葉もそうだし、ネット越しではわからないことがわかります。
今は遠隔でzoomばかりやってるけど、それはそれで便利なんだけどやっぱり直接お話することはとても大切だなぁと思います。
人は(特に日本人)そういう能力が優れているので、使わないと退化してきます。
するとどんどん自分で考えることをしなくなり、前にならえ!右にならえ!になります。
今から思うと義務教育ってそういうことなのかなと思います。
皆んなと同じ!皆んなと同じことができない子は変わった子!
前にならえ!
そして先生の言うことは体育座りをさせられ朝礼台の上から話す先生の話を聞く。
先生の言うことが聞けない子はダメな子。
これ、奴隷制度と同じと聞いてショックでした。
体育座りは、奴隷に座らせていた座り方だそうです。
背骨が曲がり、腸も萎縮し、身体の中心が崩れるので骨抜きにしやすいとか。
昔の日本人は体育座りなどしていませんでした。
着物を着ているので女性は正座。
男性はあぐらを組む。
あぐらは行儀が悪いと教えられて来たけど本当はいいみたいです。
座禅もそうだしヨガもそうですよね。
身体の中心を整えることで自分自身がブレなくなるんですね。
このように本当は良いことが色々書き換えられているそうです。
と言うことは・・
過去の自分も自分の良いように書き換えたら良いということですよね。
過去のイヤな経験が今の自分の邪魔をしているようだったら。
どんな親だったら良かった?
どんな環境だったら良かった?
どんな自分だったら良かった?
そんなふうに一つずつ書き換えてみるといいですね。
そしてその書き換えた過去の延長線上の自分。それが今の自分です。
その自分はどんな自分?
こんなふうに考えると心が軽くなりますね♪
本当はどんなことも自由なんです!
選ぶのは自分。
結局自分なんですね。