久々にタルタリア文明の考察をしてみたいと思います!
以前、何かで見た明治時代の博覧会の画像。
明治時代に既にそんなことしてたんだぁと、とても興味深く見ていました。
明治10年に東京で開催された博覧会は内国勧業博覧会というものだったそうです。
内国勧業博覧会とは、
1877(明治10)年の8月、西南戦争開戦の中、日本で初めて行われたそうです。
この博覧会は、日本が参加した1873年のウィーン万国博覧会を参考に、初代内務卿大久保利通が推し進めたものだそうです。
東京で3回。京都、大阪で各1回の計5回開催しています。
画像を見てみると明治初期にこれだけのすごい博覧会ができたなんて、かなりびっくりですよね!
しかも1873年のウィーンの博覧会を参考にしてわずか4年程で1877年(明治10年)に第1回を東京で開催してるのです。
このスケールは半端ないです!
しかも10年前まではちょんまげの江戸時代だったんですよ!
第1回内国勧業博覧会
東京 1877年(明治10年)
ガス灯とイルミネーション
船すべり
第2回東京(1881年 明治14年)
第3回東京(1890年 明治23年)
第4回 京都(1895年 明治28年)
第5回 大阪(1909年 明治36年)
これ、明治時代ですよ!日本じゃないみたいですよね。
ロープウェイなんかもあったりして・・
なかなかすごいですよねー!
第1回の「ガス灯とイルミネーション」
当時のガス灯は、石炭から発生させたガスを燃やすことで光をはなっていました。「裸火」とよばれる赤っぽい灯で、そこからはシューシューという音が聞こえてきたそうです。
「文明開化」の第一歩。
その後、明治30年代になると、ストーブやアイロン、コンロ、湯わかし器などが次々に輸入され、日本でも作られるようになったそうです。
このようなモノは明治時代から既にあったんですね!
昭和になって入って来たものだとばかり思っていました。
タルタリア文明はフリーエネルギーだったと言われているけど電気じゃなかったんですね。
そして、「船すべり」はかなり斬新!
怖すぎます(^_^;)
そして、こちらは昭和3年に岡山県で開催された大日本勧業博覧会です。
これもかなりびっくりなんですけど!
昭和初期にこんな大規模の博覧会、本当に博覧会のために作ったんでしょうか?
明治時代の博覧会にしてもそうだけど、これって元々あったものを「博覧会」ということにしたんじゃないの?
明治時代から昭和初期にかけて、このような建物が存在し、それは前文明の建造物が残っていて、既にあったものをいかにも後から作ったみたいに創作してるんじゃないでしょうか?
あまりの規模の大きさだし出来過ぎじゃない?
ちなみに第4回の京都博覧回は、その後、平安神宮になったそうです。
岡山の博覧会では、「コドモの国」というのがあります。
岡山県はベネッセがあったり、元皇族の(昭和天皇と香淳皇后の第4皇女)厚子さまがお住まいになられている池田動物園があったりとちょっと色々氣になることがあるので、「コドモの国」も氣になります。
(余談ですが、ベネッセの元社長原田泳幸さんはアップルコンピュータ(現アップル)日本法人や日本マクドナルドホールディングスの社長を務めていました。
そして原田さんの時にベネッセの個人情報が大量に漏えいしました)
この「こどもの国」というのは、神奈川県に初めてできたそうですね。
戦時中、当地は旧・日本軍最大規模の弾薬組み立て・格納などを目的とした弾薬製造貯蔵施設(陸軍東京兵器補給廠・田奈部隊填薬所)であり、敗戦後は田奈弾薬庫として米軍に接収されていた。後に返還を受けると、1959年の当時の皇太子(明仁)の成婚を記念して、主に、国費と雪印乳業など民間からの寄贈や日本船舶振興会(現:日本財団)からの支援などにより施設跡地を整備し、1965年5月5日(こどもの日)に開園した[1]。初代園長は、朝日新聞社常務取締役を務めた矢島八洲夫。(Wikipediaより)
旧日本軍弾薬庫をこどもの国の施設にするなんて考えるとちょっとイヤな感じですね。
話は逸れてしまったけど、調べていくといろんなことが??となることがたくさんあります。
まだまだ書きたいことあるんだけど、長くなっちゃったので次回にします(*^^*)
お城も氣になるし、タルタリア建造物も氣になるし、フラットアースも氣になるし...
この世界、地球はいったい何なんでしょうね。
今日も最後までありがとうございました。
それでは、また・・・♪